星下り 西国観音集合 8月9日 中山寺 古代三大霊場 厨子王逃亡寺  [近畿]


星下り 西国観音集合 8月9日 中山寺 古代三大霊場 厨子王逃亡寺

日本三大霊場といえば

比叡山

高野山

恐山

しかし、恐山の前は摂津(現兵庫県宝塚市)にある総本山中山寺だったことはあまり知られていない。

むしろ、関西を中心に中山寺は

子受・安産祈願

の寺として信仰を集めている。 

最近!では秀吉とか明治天皇が祈願したそうな。

かく言う私の母親も祈願に訪れたとか・・。

中山寺位置() 

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遠く戦国の世は、中山寺の境内から阪神平野が一望に見渡せ(反対に阪神平野からは中山寺の境内の灯がみえたであらう) 、織田軍が横並びで西へ駈け去ったのもみえた。らしい。(その駈け去った後築かれた豊織政権は江戸時代をへて今に通じている。・・中山寺から見えたであらう攝津伊丹の有岡城の反乱等多少のいざこざはあったが。)

豊織政権以前の大坂では大坂城の場所には 本願寺が建っていた。お御堂さん(現大阪御堂筋の起源)と呼ばれ一向宗、門徒宗が南無阿弥陀仏とおさめる大宗教都市だったのだ。

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 織田軍はこの一大宗教都市と10年戦争を繰り広げたが負かすことはできず和解した。大坂本願寺を明け渡す代わりに信仰の自由を与えた。大阪人はいまだに太閤さん大好き家康憎しと言っているが同じ武士、この一大宗教都市本願寺時代の記憶が抜け落ちているのが不思議でならない。たぶん武士世俗政権によって忘れさせられたのだらう。確かに大坂城を建てた秀吉は本願寺攻めの首謀者ではないし、むしろ城の周辺に商人を呼んで楽市楽座的政策を敷いたので商人にとっては人気がいまだ継続してるのであらう。ちなみに一向宗一族は山を超え奈良に移転、家康により東西に分けられて本部は京に。出生は神道、現世は徳川、彼岸は浄土宗と住み分けをさせたのですね。

大坂本願寺の跡に秀吉は大坂城を建て、その上に家康は新たに大坂城を立て、明治新政府は大阪を首都にしようとしたが大阪城がかみなりで消失、造幣局のみ大阪に残り、昭和に入り大阪人は鉄筋コンクリートの大阪城を建てあの大阪大空襲にも難を逃れた・・・。

話はそれました。 

中山寺のご本体は観音様。

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普段は秘宝で 毎月18日にご開帳される。

中山寺では普段は小さな生まれたての子供を抱いた 親御さんがお参りに毎日こられてますが、年に三回大賑わいになります。

大晦日は当然ですね。 

2月3 日 追儺式(平たく言えば豆まき)

例年タカラジェンヌが午前と午後豆まきをします。

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そして、本日のメインテーマ

8月9 日星下り祭り

西国の観音様が出雲の神在り月ならぬこの日に中山さんにいっせいに集まるそうな。その姿がまりで流れ星のやうだから星下り。ロマンチックですう。

この日の夜におまいりすると西国観音霊場をいっせいにお参りしたのと一緒の功徳があるとか。

またこの日は四万六千日(しまんろくせんにち)といって、この日にお参りすると4万6千日お参りしたのと同じ功徳。

つまり二度おいしい!

ちなみに4万6千日は126年だから一生分以上のお参りをしたのと同じ功徳が!

さっそ8月9日夜行ってきました。

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境内入り口は20時30分というのに屋台と人で

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いっぱい。

中に入ると(45分には境内山道は通行止めになるとこでした。セイフ!)

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各お堂(生れ月の守護が祭られている)前には おみこし風の若衆が・・。

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前掲本堂内には神々しい観音様が・・。

一生分のお願いを!

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ひとひと人です。

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あと10分で本堂前の広場は立ち入り禁止とか・・。

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お寺といえば夜店!焼きそばで腹ごしらえ(500円!)

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腹ごしらえした後は本堂の一段下広場では先ほどの若衆の行列踊り!?

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極彩色の光と霧の中を幻想的に・・・

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小一時間で終わり帰宅の徒に。

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近くのコンビに前には若者がたむろ。パトカーとけんかしてました。

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中高年もコンビに駐車場で輪になってご歓談!?

 



子供のころ「安寿と厨子王」という子供用童話を読んで子供ながらに涙を流しました。大きくなって「山椒太夫」が元ねたとしりましたが、姉が身代わりに弟を逃がすシーンは子供心に堪えました。

その兄厨子王が逃げ延びたのがこの中山寺なのですが、姉弟が閉じ込められていた山椒太夫の 屋敷は丹後!丹後から逃げ延びてきたのですね!

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屋敷の近くには二人の碑が建っています。 

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抜け出した屋敷Aから中山寺下Aまでの距離感

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入水するであらう姉をひとり残し、厨子王はどんな思いでこの道を中山寺まで逃げのびたのでせう。 

中山寺へは阪急電鉄が一番近くてお徳です。

大阪梅田で阪急宝塚線の「宝塚行き急行(特急は宝塚線にはありません)」にのり、中山(観音前)で下車、地下の改札出て右手エスカレーターで上がれば真向かいにささやかな参道が見えます。

中山寺の良心的なところは参内料金(お寺に入る入館料)が要らないのと、境内に二箇所エスカレーターが動いているところです。

ご祈祷料金は別ですよ!下記HPでどうぞ。

安産祈願 大本山 中山寺 入り口
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